「私のものに間違いありません」。つい先日とんでもないものを所持していたことが発覚して、世間を唖然とさせた沢尻エリカ。
間もなく始まるNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」。すでに撮影が始まっていて、もう丁度十話分が完成しているそうです。
沢尻エリカはこのドラマでかなり重要な役どころを得ていて、初回からかなりの頻度で登場するはずたったのですが、NHKはもはやそれを放送するわけにはいかないでしょう。
製作発表会見では、涙ながらに出演の喜びを語っていた沢尻エリカ。今思えば、あの涙の理由は、一体何だったのでしょう。
感極まったのかどうかは知りませんが、恐らくNHKからは莫大な損害賠償を請求されるでしょうから、今度は別の意味で大泣きしなければならなくなるでしょうね。
まったくぶっ飛んだことをやらかしてしまったものです。そう言えば自分が主役の映画上映の舞台挨拶での、あの投げやりな態度で、質問した司会者をぶっ飛ばせてしまったのはいつだったでしょうか。その時その場を必死にとりなそうとしたのは誰だったのでしょうか。
今回の檻の中での質問者は司会者ではないようですが、この先「別に」と言ってふて腐れるようなことはないでしょうか。
結局1話も登場することはないであろう沢尻エリカ初出演の大河ドラマ「麒麟がくる」。幻の出演とはどんなものだったのか、少し探ってみましょう。
沢尻エリカのプロフィール
沢尻エリカは馬主であった日本人の父とアルジェリア系フランス人の母親の間に生まれ、名前は主に南アフリカ原産のツツジ科エリカ属植物にちなんで付けられました。
際立った美貌や容姿は、彼女がハーフであることも大きな要因と言えそうです。
- 本名「澤尻エリカ」
- 昭和61(1986)年4月8日生まれ
- 東京都出身
- 身長161㎝
- 血液型A
- 公式サイト ERIKA TOKYO
時として人を寄せ付けないくらいの偉大なオーラを発していたせいか、もっと上背のある大きな人のように感じられていましたが、それほどの身長ではないのですね。
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大河ドラマ初出演
令和2(2020)年1月5日からNHKで放送開始予定の「麒麟がくる」は、オリンピックイヤーとも重なる令和最初の記念すべき大河ドラマです。
時代設定としては、歴代の大河ドラマの中で最も人気の高い戦国の世に舞台を置きながらも、これまで有名でありながらもメインに取り上げられたことのない明智光秀という武将を主人公にした、新時代の幕開けにふさわしい斬新な物語として、始まる前から前評判も上々でした。
主役には今をときめく中堅人気俳優、長谷川博己を配し、その他の登場人物にも数々の個性派俳優や実力派俳優が脇を固めます。また若手注目俳優も多く起用されます。
その目玉のひとりが、満を持しての登場となるはずであった沢尻エリカだったのです。これが沢尻エリカにとって大河ドラマ初出演となるはずでしたが、今となってはすべてが水泡に帰しました。
涙の会見
沢尻エリカが演じるはずの役だった帰蝶は、明智光秀が前半生に仕えた主君、美濃国の守護代斎藤道三の娘です。政略結婚で尾張国の織田信長に嫁ぎ、正室になったとされる人物で、濃姫という呼び名でも知られています。
戦国時代終盤の天下取りの話には欠かせない人物であり、「麒麟がくる」の中でももちろん出番の多い重要な役です。
若くして大物女優ともてはやされながらもなかなかお呼びが掛からなかった大河ドラマに、この度初めて、しかも重要な役で出演することとなり、事前の製作発表会見では、失敗や挫折を繰り返しながらも、やっとここまで来ることができたと目を潤ませていました。
そして自分の集大成をここで見せたいと意気込んでいた沢尻エリカだったのですが、その姿は誰にも見せることなくお蔵入りすることは間違いないでしょう。
帰蝶は戦国時代終盤の天下取りの話には欠かせない人物であり、もちろん「麒麟がくる」の中でも出番の多い重要な役です。あの会見での涙の理由は、紆余曲折を経た末につかんだ栄光に感慨を覚えたためと、あの時は誰もが疑いもなくそう思ったでしょう。
しかしそれが、今思えば単なる薬による感情の乱れだったのかも知れないとすれば、まったく興醒めする限りです。
人生の歯車が狂い始めた「別に」発言
沢尻エリカが会見で述べた失敗や挫折の始まりは、あまりにも有名な「別に」発言であることは言うまでもないでしょう。あれはいつのことでしたでしょうか。
12歳でモデルとして芸能界入りし、平成17(2005)年に出演した映画「パッチギ」とテレビドラマ「1リットルの涙」の役で、女優として数々の賞を総ざらいし、平成21(2007)年9月29日、自身が主役を務める映画「クローズド・ノート」の舞台挨拶が行われたのは21歳の時でした。その時にあの出来事は起こりました。
主役である自分のための会見に等しいにも関わらず、その時の沢尻エリカはなぜか終始不機嫌で、質問に「別に」とか「特にありません」と短く仏頂面で答えるだけでした。
その時進行役の司会者が、困惑しながらも凍り付いたその場をフォローしようと一生懸命言葉を補っていたのはさすがでした。それは誰かと言うと、フリーアナウンサーの富永美樹です。まさに名司会ぶりでしたが、それでもなお沢尻エリカは、勝手な話を作るなとでも言いたげな表情で、彼女をにらめつけていました。
そのとんでもない醜態をさらしてから12年、干支も一回りしてようやく本人も落ち着きを取り戻したと思われていた矢先、集大成を見せると豪語した結果が、更なる醜態を演じたということです。
そして残念ながらこの醜態に対する挽回の機会を得るまでには、今まで以上に茨の道を歩く必要があるでしょう。場合によってはその機会すら、もう二度と訪れないのかも知れません。本当に残念です。
まとめ
- 沢尻エリカは令和最初でオリンピックイヤーともなる記念すべき大河ドラマに初出演し、重責を担うはずだった。
- 数々の失敗や挫折をようやく乗り越えたという思いからか、会見では涙を浮かべながら意気込みを語った。
- 失敗や挫折の始まりは例の「別に」発言であり、その時司会者を困らせて会場全体を凍り付かせた。
- それがいつで司会は誰だったと言えば、平成21(2007)年9月29日の映画上映のための舞台挨拶の時であり、フリーアナウンサーの富永美紀がその場を懸命に取りなした。
- そんな過去の醜態を上回る、更なる醜態をさらしてしまって、期待の大河ドラマも白日の夢となった。
白日夢とは、目覚めているのにぼんやりとして、夢でも見ているかの状態のことを意味します。しかしこの度の騒動の結末として、この先厳しい状況が沢尻エリカを待ち受けているのは、夢ではなく確かな現であるに違いありません。