趣里という女優には、何気なく知的でミステリアスな匂いが漂い、どことなく惹かれてしまう要素があります。あの容姿から醸し出す独特の雰囲気は、他のどんな芸能人たちよりも、やはり両親に似てると言えるのではないでしょうか。
今や強烈な存在感を示して個性派女優の代表格のひとりにまでなった感のある彼女には、元々は今とは違うしっかりとした人生の設計図がありましたが、止むに止まれぬ事情によりその夢を断念しました。途方に暮れていたのも束の間、新たなる自分の可能性に目覚めました。
デビュー作はテレビのスペシャルドラマでしたが、それに出演後も彼女は演ずることへの飽くなき探求心を忘れず、大学を中退してまで日夜芝居に打ち込みました。
そのチャレンジ精神こそが、今日の彼女を作り上げたのです。彼女は100%二世タレントですが、もはや100%趣里その人でもあります。
趣里のプロフィール
人には大抵ファミリーネームとファーストネームがあるものですが、趣里の場合はファーストネームだけで、ファミリーネームがありません。もちろん芸名ですから何の問題もありませんが、なければないでちょっと気になるものです。
- 本名 : 水谷趣里
- 生年月日 : 平成2(1990)年9月21日
- 出身地 : 東京都
- 身長 : 158㎝
- 血液型 : O
- 所属劇団 : オーストラ・マコンドー
- 所属事務所 : トップコート
本名は水谷趣里といいますから、芸名の趣里だってフルネームでないだけで、本名であることに間違いはないですよね。では逆に、なぜ苗字をカットしてしまったのでしょうか。
シュリと聞けば首里城のシュリが真っ先に思い付いたりもしますが、どうもこれは単なる音の一致に過ぎませんね。趣里は東京都出身であり、沖縄県との関連性はなさそうです。
何だかとてもミステリアス感漂うこの趣里という人は、実はなかなかのバックグラウンドの持ち主のようです。公式サイトはコチラをクリック!
趣里は二世タレント
この人が水谷豊の娘であることは今となっては有名な話ですが、自分ではそれをおおっぴらにはしていませんでした。芸名をファーストネームだけにしている理由は、そこにあろうかと思います。
本名の水谷姓がその事実を物語っているのですが、別に親子の仲が悪いとか、父親のことが嫌いといったことではありません。むしろ親子関係は非常に良好のようで、尊敬の念すら抱いている感じです。
二世タレントであることを否定するつもりは全くないらしいのですが、それが重荷にならないよう、敢えてファーストネームだけの芸名でデビューして実力を磨きたいという思いがあったのではないでしょうか。そんな彼女もいつの間にか三十路を越えて、女優としての立場も揺るぎないものになりつつありますから、本人も以前ほどその事実についてナーバスになることもなくなったのではないかと思います。
趣里と他人
一風変わった芸名の趣里は、今となっては水谷豊の一人娘であることを知らない人はいないくらいです。しかし水谷豊の娘であることにうぬぼれることなくしっかり精進してきたため、彼女は今では地に足のついた、ひとかどの女優になりました。
一女優として修練を重ね、一女優として自らを開花させた趣里について、今さら水谷豊の一人娘だからといって特別視する人もいないでしょう。それにこの人はファーストネームだけという芸名も特徴的ですが、顔もなかなか特徴的でインパクトがありますので、一目見るだけですぐに脳裏に焼き付く存在となるはずてす。
つまりわざわざ水谷豊を記憶から呼び戻してくる必要はもうないのです。趣里は趣里として、そして水谷豊は水谷豊として、それぞれの世界を形成しているのです。
その証拠に、彼女の顔について語る時に、芸能人では岸井ゆきのに似てるだの、福地桃子に似てるだの、はたまた男性の菅田将暉に似てるだの、あるいは松友美佐紀というバドミントン選手に似てるだのと、これらは皆独特な雰囲気を持った赤の他人ですが、その中に水谷豊の名前は見かけられません。むしろ父親であるはずの水谷豊とは、似てないとさえ言われています。
趣里と両親
しかしだからといって、別にどうということはないのです。もうひとつ、大事なことを忘れてはいけません。
それは彼女のDNAが父親からだけ受け継がれているのではなく、母親からも同様に受け継がれているということです。その母親とは、人気絶頂の最中の昭和53(1978)年に、「普通の女の子に戻りたい」という名言を残して解散した女性アイドルグループ、キャンディーズのリーダー格だったランちゃんこと、現女優の伊藤蘭です。
確かに趣里は、一見水谷豊とは似てないかも知れません。また伊藤蘭と比較しても、何かズレてるような感じです。
しかし水谷豊と伊藤蘭のふたりの顔を、頭のなかでごちゃ混ぜにして思い浮かべてみて下さい。趣里の顔の作りは水谷豊で、顔の輪郭は伊藤蘭だと気づいてくるはずです。
余談ながら水谷豊は、昭和54(1979)年放送のテレビドラマ「熱中時代・刑事編」で共演したミッキー・マッケンジーというアメリカ人女性と昭和57(1982)年に結婚しましたが、半年後には東京ロサンゼルス間での別居状態となってしまい、結局長続きはしませんでした。その一方で昭和57(1982)年放送のテレビドラマ「あんちゃん」で共演したのが伊藤蘭との電撃的な出会いとなり、翌昭和58(1983)年放映の「事件記者チャボ」では水谷豊自らが伊藤蘭を共演者として指名するくらいの大事な人となって、昭和61(1986)年にミッキー・マッケンジーとの離婚が成立した直後より半同棲生活を始め、それから3年後の平成元(1989)年に伊藤蘭と結婚したのです。
水谷豊とミッキー・マッケンジーの間に子供はいません。趣里は間違いなく、水谷豊と伊藤蘭のDNAを引き継いだ、水谷豊と伊藤蘭の一人娘です。
ちなみにミッキー・マッケンジーはその後女優をやめてゴルフレッスンの指導者となり、平成5(1993)年にプロゴルファーと結婚して2人の子供を授かっています。
趣里の目指したもの
30歳を越えた近頃の趣里には、重ねた年齢に相応しいだけの大人の女としての魅力が加味されてきた気がします。体は今でもスレンダーに違いありませんが、かつてはもっと華奢な印象でした。
それは彼女が元々目指していたのが女優ではなく、バレリーナだったからです。4歳からクラシックバレエを習い始め、6歳で初舞台、そして小学校5年生の時に「くるみ割り人形」の主役を演じたことで、本格的にバレリーナになることを志しました。
その後はまさにバレエ浸けの日々を過ごし、15歳で本場イギリスのバレエ学校にオーディション合格して留学、そのためにオーディション前にはインターナショナルスクールにも通って語学力を磨きました。
芸能人夫婦の愛娘として裕福な家庭に生まれ育った趣里は、そのおかげで思う存分自分のやりたいことに没頭できたという恵まれた環境にあったことも確かでしょうが、一流のバレリーナにはそれだけではなれません。やはり本人の努力が何よりも重要です。
趣里の挫折
趣里は親の七光りではなく、自分がこうなりたいというビジョンが明確であり、その実現のために頑張りました。そして頑張りすぎて、大怪我をしてしまい、プロのバレリーナとしては通用しない体になってしまいました。
せっかくイギリスに留学したものの治療のために帰国し、高卒認定試験を経て大学に進学して、しばらくはリハビリしながらバレエを続けていましたが、キレのある動きは取り戻せず、バレリーナになる夢は捨てざるを得ませんでした。
ちなみに進学先は、かつての自身のインタビューで、芸術学部のある大学というような趣旨を述べたことから、日本大学ではないかといわれています。しかし正確な大学名を公表していませんので、あくまでも推測の範囲です。
趣里の新たなる挑戦
これといった新たな目標もなく漠然とした学生生活を送っていましたが、表現者でありたいという気持ちを消し去ることはできず、ある時ほんの軽い気持ちで参加してみた演劇スクールのレッスンで、演じることの面白さに気付きました。自己表現の場をバレエから芝居へと、この時変えたのです。
デビュー作は平成23(2011)年3月27日放送のテレビドラマ「3年B組金八先生ファイナル」で、金八先生に恋する生徒役でした。オーディションに合格した二十歳の大学生が、15歳の中学3年生になりきって多感な年頃の少女を違和感なく演じられたのは、やはりバレエで培ってきた表現力の賜なのかも知れません。
それからも自分に甘えることなく、4年で大学を中退して、女優としての自分を強く追求していきます。日本だけでなくアメリカの演劇スクールにも通ってレッスンを重ねます。
それで劇団にも入団して暫くは舞台での修行をひたむきに続けたりするのですが、平成28(2016)年前期放送のNHK朝ドラ「とと姉ちゃん」での出演で改めて注目を集めてからは、舞台のみならずテレビに映画にと幅広く出演しするようになり、現在の趣里があります。
この記事のまとめ
- 趣里の本名は水谷趣里であり、水谷豊の娘である。
- 趣里の母親は伊藤蘭であり、趣里は父親と母親の両方に似てるといえる。
- 趣里はかつてプロのバレリーナになるのを目指して留学までしたが、怪我をしたため帰国しその夢を諦めた。
- 大学に進学して将来の道を決めかねている時に演じることの面白さに気付く機会があり、表現者でありたいという思いが覚醒した。
- 大学を中退して芝居に打ち込み、芝居浸けの日々を過ごして今日の個性派女優としてのスタンスを築いた。
脚本家であり劇作家であり、演出家でも映画監督でもあり、なおかつ俳優も兼ねる多才な岩松了を師匠と仰ぎ、岩松作品で生き続けられる役者でありたいとまで語る趣里。そういえば直接の岩松作品ではありませんが、岩松がレギュラー出演していたテレビドラマ「時効警察」の最新シリーズ、「時効警察はじめました」の第5話[令和元(2019)年11月15日放送)]でゲスト出演していましたね。
なるほど確かに、趣里の演技は岩松好みのような気がします。岩松了を崇拝するあまり岩松色に染まり過ぎてそのうち段々と変わった人に見られはしないだろうか、それが唯一の懸念です。