麻生久美子は今でもあどけなくて声や仕草がかわいいなどと好感を持たれていて、その姿に生活感を漂わせません。
しかしそんな彼女も年齢的にはもう40を過ぎていて、女優としてはベテランの域に達しています。そして一個人としては、すでに結婚していて出産もし、今では小学校に通う子供がいます。
麻生久美子のプライベートな部分を、彼女の生い立ちを追いながら探ってみたいと思います。
目次
麻生久美子のプロフィール
現在麻生久美子が住んでいる近辺の地元情報によれば、彼女は寺での夏祭りに明るいうちからひっそりと参加していたり、駅前のコンビニにママチャリで買い物に来ていたりする、ごく普通の感じのいい女性なのだそうです。その控えめで飾らない美しさは、どのような経緯で生まれたのでしょうか。
- 本名「伊賀久美子」
- 旧芸名「広田絵美」
- 昭和53(1978)年6月17日生まれ
- 千葉県出身
- 身長162㎝
- 血液型B
- 千葉県立佐倉南高等学校卒業
- ブレス所属
麻生久美子を名乗る前に違う芸名を使っていたのですね。何やら曰くがありそうです。公式サイトはこちらをクリック!
麻生久美子の生い立ちからその名が世に知れわたるまで
麻生久美子は幼い頃からアイドルが好きで、アイドルにあこがれ、アイドルになりたいと思っていました。
なかでも歌手の西田ひかるの大ファンで、彼女になりきるために顔の同じ位置にマジックでほくろを書いて、そのうち本当にそこにほくろができてしまったほどでした。
一方で麻生久美子の家庭では、父親がギャンブル狂で生活費をろくに入れず、極貧生活を余儀なくされていました。川で捕ったザリガニや、道端で採った雑草などを食べて飢えをしのいでいたというくらい壮絶なものだったと、かつて出演したNHKのトーク番組「スタジオパークからこんにちは」で本人が語っていました。
服を買うお金もなく、毎日同じものを着て学校に行っていたので、馬鹿にされていじめられ、石を投げつけられたこともあったそうです。
それでも麻生久美子には、有名になってチヤホヤされたいという強い自己顕示欲があったためか、自分はアイドルを目指すほど世界で一番かわいいのだから、ねたまれていじめられるのも仕方ないとさえ思うところがありました。
極貧生活ゆえの決意
中学生になった頃には、そこまで頂点には立てないだろうと、麻生久美子は冷静に自分を分析できるようになっていました。それでもその後結局アイドル歌手を志望して、芸能事務所に履歴書を送ります。
貧しい家庭で苦労する母親を助けるには麻生久美子が大金を稼ぐしかないのですが、若い女性にとってそれはごく限られた方法しかありません。
この時アイドルの道を選んだのは決して夢だけを追い求めていたのではなく、現実と向き合った時に残された数少ない選択肢のひとつだったのです。
その応募がきっかけとなって、平成7(1995)年「第6回全国女子高生制服コレクション」でグランプリを受賞、同年哀川翔が主演監督して話題となった映画「BAD GUY BEACH」にヒロインのひとりとして女優デビューを果たします。
麻生久美子の黒歴史
デビュー作での役柄は清純なアイドルとは程遠いものでしたが、容姿とは正反対の陰のある汚れた少女を見事に演じました。この時麻生久美子は若干17歳。
しかし麻生久美子には、麻生久美子の名で芸能活動する前の約2年間、旧名の広田絵美と名乗った期間がありました。実はその時の活動の中身は、「BAD GUY BEACH」での役柄以上に妖しいものでした。
広田絵美の名のもとでは主にモデルとして活動していましたが、成人雑誌を飾る妖艶なコスプレ姿のモデルであり、まさに麻生久美子の黒歴史と言えるでしょう。
一歩間違えれば清純アイドルどころか成人向けビデオの女優にもなりかねなかったわけですが、麻生久美子は肝が据わっていました。若くして家計を支えるためなら、体を張る仕事すら厭わない覚悟ができていたのです。
転機となった映画出演
芸能活動をしながらの高校生活でしたが、ずっと後のインタビューで本人が語ったところによれば、家計を助けるためには風俗業界で働いてもいいとさえ思っていたそうで、卒業後の進路も芸能界にこだわっていたわけではありませんでした。
しかしたまたま受けたオーディションに合格したことが彼女にとって予想外の転機となったのです。
それは平成10(1998)年公開の映画「カンゾー先生」でのヒロイン役でした。そしてそれはまたしても妖しい性癖のある娘の役でした。
でもその演技が認められて、日本アカデミー賞助演女優賞や同新人俳優賞をはじめ、数々の映画賞を総なめするかのように受賞してしまうのです。
これによって麻生久美子は、それまでの無名に近い得体の知れない存在から、一躍脚光を浴びて、一大演技派女優の仲間入りを遂げてしまうことになります。
心機一転するその後の麻生久美子
以後時流に左右されない本格的な女優として、スクリーンに度々登場するようになった麻生久美子でしたが、「カンゾー先生」での高い評価が逆に彼女を苦しめます。
彼女は若くしてできあがってしまった自分のイメージを追求し、時として脱却を試みますが、なかなかうまくいきません。
行き詰まった彼女は女優をやめてしまおうとまで考えます。それを思い留まらせたのが平成18(2006)年放送のテレビドラマ「時効警察」の出演です。
そこで演じた今までとはまったく違ったコミカルな役柄が、従来のイメージを突き崩し、演技の幅を広めさせたのです。
「時効警察」は麻生久美子にとっての民放連続ドラマ初出演だったことも、彼女に変化をもたらした要因のひとつだったかも知れません。
吹っ切れた彼女は続編である翌平成19(2007)年の「帰ってきた時効警察」にも同じ役で出演します。
この辺りが麻生久美子にとっての第2のターニングポイントとなるのですが、それは仕事の面だけではなく、実は私生活においても大きな転換期を迎えていたのです。
結婚して小学校に通う子供もいる麻生久美子
時効警察シリーズでは、オダギリジョーが演じる主役の霧山修一朗に密かな好意を寄せるヒロインの三日月しずか役でした。しかしこの頃、実生活ではオダギリジョーではなくまったく別の人を恋慕っていました。
そして「帰ってきた時効警察」の放送があった年の暮れ、平成19(2007)年12月28日に麻生久美子はその人と結婚します。まさに人生における一大転換期となったわけです。
その後しばらくして、平成24(2012)年5月7日には長女である第1子を出産しています。今でもかわいいと評判の彼女にも、現在もう小学校に通う子供がいるのです。
そして平成28(2016)年6月9日、今度は第2子である長男を出産します。だから華奢な体つきでいつまでも若々しい麻生久美子も、もう立派な2児の母なのです。
子供たちにはいろいろな習い事をさせているそうですが、それは自分が幼少の頃に苦労した経験かあるからこそ、子供たちには興味のあることを何でもさせてあげたいという思いがあるからではないでしょうか。
特に上の子にはそのひとつとして英会話を習わせていて、それはいつか親子でカナダに留学したいという夢があるからだそうです。親子でということは、麻生久美子自身も留学するということですよね。その時麻生久美子はいったい幾つになっているのでしょう。
どこまで本気なのかは分かりませんが、本当にそう思っているのなら、素晴らしい向学心ですね。
旦那は伊賀大介というスタイリスト
ところで麻生久美子の旦那は誰かというと、伊賀大介というスタイリストで、やはり芸能関係者です。平成15(2003)年に写真集の仕事で一緒になり、以降交際が続きました。
そして次第に彼の優しさと他人を大切に思う人柄に惹かれていき、4年の交際期間を経た末に結婚に至りました。
旦那の伊賀大介は平成11(1999)年に22歳でスタイリストとして独立していますから、生まれは昭和52(1977)年頃となり、麻生久美子より2つ程年上ということになります。
以後ファッション雑誌やCM広告をはじめ、著名なアーティストやタレントのスタイリングを手掛けてきています。また舞台や映画などの劇中衣装の製作にもあたったり、コラムの執筆もこなすなど、現在その活動は幅広い範囲に及んでいます。
伊賀大介は東京都新宿区西新宿出身で、エスモードジャポンという有名な服飾学校を卒業し、ファッションスタイリストの熊谷隆志氏のもとで3年程修行した後に独り立ちして現在の地位を確立しました。
服飾学校に入学する前の伊賀大介の経歴は、あまり多くは明らかになっていません。しかし彼は芸能関係者だとはいうものの芸能人というわけではないのですから、別段不可解なことではありません。
ところで伊賀大介は関東連合と呼ばれる危ない人たちの仲間だったという妙な噂が流れています。しかしそれは根も葉もない作り話です。
彼が表も裏もある西新宿の出身であることと、過去の経歴が不明であるということだけをもとにして悪党呼ばわりされるのは、まったく気の毒な限りです。
とんでもないレッテル貼りをされた伊賀大介ですが、その優しい旦那がそばにいるからこそ、麻生久美子は今もキラキラ輝いていられるのでしょうね。
まとめ
- 麻生久美子は不運な生い立ちをバネにして芸能界に入った。
- まだ無名に近い新人の時にヒロインに抜擢された映画の出演で数多くの賞を受賞し、女優としての転機を迎えた。
- 民放の連続テレビドラマに初出演したのが2度目の転機となったが、同じ頃私生活でも結婚という転機が訪れた。
- 一姫二太郎の子供に恵まれていて、長女は小学校に通う年頃になっている。
- 旦那は伊賀大介というスタイリストで、根も葉もない噂とは無縁の穏やかで優しい人である。
子供の頃は極貧生活を余儀なくされた麻生久美子。そんな不運を乗り越えた上でつかんだ今の公私にわたるであろう幸せな生活に、きっとあなたもエールを送りたくなるのではないでしょうか。