名古屋市千種区今池の高牟神社に出る湧き水!御朱印の印影にもある古井の霊水とは?

 

都会にあってのこの高牟神社の静寂さは、訪れる人々を何となく過去にタイムスリップしたような感覚にさせる。

高牟神社の高牟は、たかむという読み方をします。特に高の方は、日頃ほとんど見かけない字です。牟とは何を意味する字なのでしょう。

名古屋市千種区今池一丁目にある高牟神社のこの辺りは、古来随所で湧き水が出たと言われています。

その湧き水が、「古井の水」と称して、今でも高牟神社に存在しています。太古の昔より変わらぬ姿のこの水は、古井の霊水として大事にされています。

都会の只中にあって、いにしえの面影を今に残す高牟神社。一体どういう所なのか、詳しく掘り下げてみましょう。

名古屋市千種区今池は古代ロマンの漂う街

かつて古代日本には、物部氏もののべうじという大豪族がいたということを、歴史の授業で習った覚えは、何となくでもありませんか?

物部氏は大和国やまとのくに(現在の奈良県)を本拠地とし、初代神武天皇の頃より天皇家に仕えた有力氏族です。

元来鉄器と兵器の製造管理を扱う氏族であり、やがて天皇家より軍事全般を任されるようになりました。

古代日本の国造りの過程において、物部氏はその勢力を、軍事という任務を成し遂げながら、徐々に各地に広げていきます。

愛知県は名古屋市の、市営地下鉄東山線の今池駅から千種駅にかけて、その物部氏がこの辺りにも根付いていた痕跡を今日でも見つけることができます。

そんな名古屋市千種区今池一丁目という所に、高牟神社はあります。

は、簡単なようで難しい漢字ではないかと思いますが、牟とはほこを意味する字で、鉾は古代においての武器の象徴のようなものです。

つまり高牟神社は、元々軍事を担った物部氏の武器保管庫だったのです。それが後に、神社になったというわけです。

高牟神社は、恐らくこの境内も含めて、元々は物部氏の武器の格納場所として利用されていた。

今池は、今の繁華街化した様相からは想像もつかない程、古代ロマンに満ち溢れているのです。

高牟神社の湧き水と御朱印

高牟神社から南へ1㎞程行った所に、古井ノ坂こいのさかと表示されている交差点があります。今では単なる交差点の名称に過ぎませんが、かつてこの辺りは古井もとこい町という旧町名が付いていました。

古井こいの由来は湧き水から来ています。昔々、高牟神社を中心としたこの辺りには、各所に清泉が湧き出していたからです。

そんな潤い豊かな大平原の姿など、大都市の繁華街となった今日では瞳を閉じたところで思い起こすことすらできません。

しかしただ1箇所だけ、周りの風景が全く変わってしまった現代においても、いまだその名残の湧き水が存在する場所があります。そこが高牟神社です。

高牟神社東鳥居の向こうには、都会の中心部に近いだけあって、林立する高層ビルが見える。かつてこの辺りに多数の清泉が存在していたことを現在においてイメージするのは、大変難しい。

高牟神社の本殿には、第15代応神天皇が祀られています。応神天皇は武運の神として知られています。

江戸時代にこの地を治めたのは尾張藩尾張徳川家。

その第二代当主である徳川光友は、武家の統領たる徳川の血筋の者として、高牟神社を厚く崇敬し、社殿の修造まで行なった程です。

かつては尾張藩第2代藩主の徳川光友も、崇敬の厚さから修復を手掛けた社殿だが、現在の社殿は第二次世界大戦下による空襲での消失によって、戦後に再建されたものである。

戦後再建された社殿の社号額の左下には、「岸信介書」と記載されている。岸信介は、戦後から十数年経った時の首相で、安倍晋三現内閣総理大臣の祖父にあたる。

その応神天皇の出生の際に、産湯として高牟神社の湧き水が献上されたとの言い伝えがあります。

そうしたことから、高牟神社の湧き水はまさに霊泉の水であり、古井の霊水と言われているのです。

それがどれだけ貴重なものであるかは、「古井の水」と印されているこの神社の御朱印を見ても明らかです。

高牟神社の御朱印には、左上に「古井の水」の印影が見られる。それ程古井の水は高牟神社にとって特別な存在と言える。

社殿のすぐ右側に社務所があります。御朱印はそこで頂けます。頂いた後に300円納めて下さい。

左側が社殿で、社殿を小さくしたような右側の建物が社務所である。

受付時間は特に明記してありませんでしたが、私がこの神社を去る午後4時半前にも、社務所の中に人影が見えましたので、一般的な午後5時までと考えておけばよいかと思います。

古井の霊水は恋の霊水?

御朱印を頂いた時に、この神社の宮司と思われる方が、「古井の水」の印影についてご自分からわざわざ言及されました。

そのご説明によると、この神社は古井の霊水が涌き出る所として知られており、水温が一年中12℃と一定していて変わらない不思議な水なのだそうです。

その霊水は太古の昔より地下を流れる鉱泉水であり、この水を飲み続ければ、体の悪い所もやがて状態が良くなるという健康効果が認められています。

そのために毎日たくさんの人がこの水を求めて、参詣に訪れるとのことです。ちなみに古井の水は、日本名水百選のひとつに選ばれています。

手洗舎の奥からは健康長寿の霊水が湧き出ていて、高牟神社のシンボルとなっている。

私が訪れた日も、あいにくの空模様だったにも関わらず、参詣者が絶えませんでした。団体客が押し寄せるようなことはありませんでしたが、個人客が次から次へと、ひっきりなしにやって来るのです。

けれどもその人たちは健康長寿のためだけに来ているわけではなさそうです。神社を訪れるのは若い人が多く、しかも女性の方がやや多いという印象です。

実は高牟神社には、もうひとつの側面があります。古井こいの読みがこいと同じであることから、古井の霊水がの霊水として崇められて、高牟神社が恋愛成就の聖地のような扱いをされているのです。

しかしそれは、今から15~6年前に地元の高校がクラブ活動の場において発案した企画が始まりで、それを情報発信誌が取り上げて話題にした形で広まったものです。

この神社の悠久の歴史を思えば、恋愛成就の神社というのは非常に新しい考え方です。だからこれに対して有り難みがあるのかないのか、本当のところはよく分かりません。

でもそれで、結果として人が大勢集まるということは、少なくとも神社側にとっては、非常に有り難いことなのではないでしょうか。

まとめ

  • 名古屋市千種区今池近辺は、かつて物部氏という大豪族が勢力を示していた。
  • 高牟神社は、その物部氏の武器格納庫であった。
  • 昔々この辺りは、各所で清泉が湧き出す潤い豊かな土地であった。
  • 高牟神社には今でも清泉の名残があり、「古井の水」と呼ばれるその湧き水は、御朱印の印影にもなっている。
  • 健康長寿に効果があるとされる古井の霊水を求めて、毎日多くの参詣者がやって来る。

近頃では、古井の霊水は恋の霊水でもあるようですが、私が神職さんから直接聞いた話では、そんなことにはひと言も触れていませんでした。

はたして恋愛成就のご利益が本当にあるのかないのか、真相の程は如何に?