北村一輝はアウトローから生真面目な会社員まで、二枚目ヒーローからしがない中年親父まで、そして時代劇から現代劇まで様々な役を奥深くこなす俳優です。
奥深いのは演技力だけではありません。顔も奥深いですし、経歴も奥深いですし、家族も奥深いです。
北村一輝には兄がひとりいて、その兄も芸能関係者です。知る人ぞ知る舞台演出家です。
そして北村一輝の長男も芸能界に携わり、俳優として幾つかのテレビドラマや映画に出演しています。
その北村一輝本人はもちろん俳優ですが、俳優以外の全く別の顔も持っています。彼は東京で営むカレー屋の店主です。
齢50を過ぎてますます人気の高まる北村一輝の、その奥深さを探ってみます。
目次
北村一輝のプロフィール
北村一輝はすでに年齢的には若いとは言えないのに、アイドルさながらの根強い人気を博しています。
しかしここに至るまでの道のりは、アイドルのように用意された華やかなものではなく、荒波にもまれる小舟のように激しく揺らぎながらも、努力を重ねて前に進んできた道でした。
- 本名北村康
- 昭和44(1969)年7月17日生まれ
- 大阪府大阪市出身
- 身長178㎝
- 国立弓削商船高等専門学校中退
- フロム・ファーストプロダクション所属
なんと、船の学校に進学しているのですね。波に揺られようとも操縦はお手のものでしょう。
高等専門学校(高専)はそこら辺の高校や大学よりもはるかに難しくてレベルが高いですよ。その中でも商船高専は全国でたったの5校しかありません。
それで俳優になるのは、かなりのレアケースでしょうね。公式サイトはこちらをクリック!
北村一輝の素顔
北村一輝は濃い顔をした俳優です。濃い顔とは、目鼻立ちを中心に全体のパーツがはっきりとしている顔を指すそうです。
そういえば確かに、北村一輝は目鼻立ちが整っていて、日本人離れした顔をしていますよね。親戚縁者に外国人がいて、その血が混じっているのでしょうか。
映画「怪物くん」<平成23(2011)年公開>のロケでインドに行き、ターバンを巻いたインド人役を演じた際には、現地のコーディネーターに絶賛されて、インドでもやっていけるからと執拗にスカウトされたというエピソードもあります。
また映画「テルマエ・ロマエ」<平成24(2012)年公開>と「テルマエ・ロマエⅡ」<平成26(2014)年公開>では、古代ローマの貴族役としてローマ人を違和感なく演じています。
そんな北村一輝ですが、彼の母親が沖縄出身らしいということで、彫りの深い顔はその母親ゆずりだと言われています。
実家は大阪市住吉区にあって、内装業を営んでいるとのことですが、いずれにせよ北村一輝は、濃い顔ではあるものの純粋な日本人であり、生粋の浪速っ子なのです。
北村一輝の兄は演出家
北村一輝には2つ違いの兄がいます。北村一輝は2人兄弟の弟になります。兄は子供の頃から映画を見るのが大好きで、弟の一輝を連れてよくふたりで映画館通いをしたそうです。
そんな兄と行動をともにしていた弟の一輝は、ある時「海の征服者」<昭和25(1950)年公開アメリカ合衆国製作>という勧善懲悪の海賊映画を見ます。そのことがその後の一輝の人生に大きな影響を与えます。
その映画に強い感銘を受けた一輝は、主人公にあこがれ海賊王になりたいと思ったのです。そして中学卒業後はプロフィールにある通り、愛媛県にある船舶関係の高等専門学校に進学するのです。
しかし商船高専の修業年限が5年半であるにも関わらず、一輝は3年で学校を中退してしまいます。後の本人の談話によれば、商船高専の勉強内容では海賊にはなれないことに気が付いたためとのことです。
そして学校を辞めて、役者を志し上京します。役の上なら何にだってなれる、つまりあこがれた海賊にだってなれてしまうからです。
それでも順風満帆とはいかず、一時は中途半端に役者の道をあきらめて4年程海外に放浪の旅に出掛けたりもしましたが、再び思い直して必死になって取り組み、遅咲きながら現在の地位を確立したのです。
子供の頃に見た映画が北村一輝の人生に大きな影響を及ぼしたわけですが、その映画に連れていった兄の存在も決して忘れてはいけません。その兄も、実は芸能関係者です。
北村一輝の兄北村年浩は役者ではありませんが、キタムラトシヒロという名前で活動している舞台演出家で、脚本も手掛けています。以前は演劇集団Z団という劇団も主宰していたようです。
ふたりは今でもしばしば会う程仲が良いそうです。北村一輝が役者として挫折しかかった時も、きっと兄のキタムラトシヒロは適切なアドバイスを送って応援していたのでしょうね。
北村一輝の長男は俳優
平成5(1993)年、北村一輝は24歳で銀座のクラブのママだったホステスの女性と結婚します。
見初めたのは奥さんの方のようです。北村一輝が日本人離れした彫りの深いイケメンですから、それももっともな話でしょう。
しかし北村一輝に安定した収入などあろうはずはありません。実質奥さんの収入で北村一輝が養われていて、北村本人は大した稼ぎもないのに奥さんに買い与えられたベンツを乗り回していたそうです。
いわばヒモのような生活をしていたわけですが、そんな状況を一変させるのが翌平成6(1994)年の長男の誕生です。
子供ができてからは責任感も生まれ、奥さんには仕事を辞めてもらい、本業の傍ら夜にはバーでのアルバイトをしたりして一生懸命働きました。
その一途さが認められたのか、その後北村一輝は徐々に本業としての仕事が回ってくるようになり、今日ある姿となったのです。
そんなひたむきに頑張る父親の姿に影響されたのでしょうか、高校生になった頃長男は芸能事務所に籍を置き、父親と同じ俳優の仕事を始めます。
特に名前のある役柄ばかりではなかったようですが、長男は俳優北村将清として、以下の作品に出演しています。
- テレビドラマ
- 「ヤンキー君とメガネちゃん」<平成22(2010)年TBS系列>
- 「幸せになろうよ」<平成23(2011)年フジテレビ系列>
- 「ブラックボード~時代と戦った教師たち」<平成24(2012)年TBS系列>
- 映画
- 「ACACIA」<平成22(2010)年公開>
- 「忍たま乱太郎」<平成23(2011)年公開>
その中で映画「ACACIA」では、北村一輝と父子共演を果たしています。またアサヒグループ食品の商品である、一本満足バーというスナック菓子のCMにも出ていたことがあります。
このように一人息子も自分と同じ道を進み始め、順風満帆のように見えた北村一輝ですが、皮肉なもので多忙になればなる程夫婦の間に亀裂が生じます。
9年にも及ぶ別居生活の末、すれ違いの多さを理由に、平成24(2012)年ふたりは結局離婚してしまいます。
この時一人息子の将清は18歳。親権は母親が持つことになりました。学業に専念するためという理由で、俳優業も休止してしまいます。
それ以来将清がテレビドラマや映画のシーンに再び登場することはありません。将清は俳優業以外にもっと情熱を注げるものを見つけました。それはダンスです。
学業に専念すると言って芸能活動を休止した将清ですが、本当に専念したのはダンスのようでした。将清は大学に入ってからダンスに目覚め、ダンスに明け暮れ、ダンスを極めます。
現在はヒップホップダンサーとして活動している北村将清は、父親やその知人に頼ることなく、自分の力で道を切り開きました。
北村一輝はしばしば長男の踊る姿を見に行って、頼もしく成長した姿に涙したこともあったのです。
将清はすでに母親のもとを離れ、現在では父親の北村一輝と一緒に暮らしているそうです。きっとお互い切磋琢磨していくためなのでしょうね。
北村一輝の別顔
インド人もビックリの顔を持つ北村一輝は、インド人もビックリの嗜好の持ち主です。彼は大のカレー好きです。
10代の頃からカレーを食べ歩いていて、ある時などはふらりと入ったカレー屋のカレーが口に合わずに、こんなものにカネは払えないと言って店主と一悶着起こし、警察沙汰にまでなったこともあるそうです。
彼は俳優としての役作りにはものすごくこだわって、ある時はチンピラを演じるために歯を数本抜いてみたりするほどの熱の入れようなのですが、カレーに対しても同様にものすごくこだわりがあるわけです。
特異な過去を持つ北村一輝ですが、そのカレー好きが高じて、そしてカレーへのこだわりが極まって、最近またひとつ特異な経歴が加わりました。
カレー好きが高じてカレー屋の店主に
大阪に「カレーやマドラス」というカレーの老舗があります。大阪ではよく知られた店です。吉本興業所属芸人はじめ、大阪で活動するタレント達もよく利用するそうです。
大阪出身の北村一輝も、上京する前には足繁く通っていました。その後俳優として忙しくなってからも、大阪に戻れば必ずと言っていい程ここに立ち寄っていました。
カレー好きの北村一輝が飽きることなく何回でも食するカレーの味ですから、きっと究極の味なのでしょう。彼はかなり早い段階で、この味を自分でも作りたいと考えます。
それでもう20年位前から、この店の味を継承する別の店を作りたいと、店側に話していて、店側からも了承されていたそうです。
そうしてついに平成31(2019)年4月、北村一輝はカレー屋を出店します。ストイックな俳優である北村一輝が、ストイックなカレー屋の店主という別顔を持った瞬間です。
大阪の老舗の味を東京で
もっとも店主と言っても、本人が店内でカレーを作っているわけではありません。要するに店のオーナーということです。
しかし自分の店には、まだできて間もないこともあってか、よく顔を出すそうです。その店は、大阪ではなく東京にあります。
店の名は「大阪マドラスカレー」。東京都港区赤坂3-14-8、赤坂相模屋ビル1Fに位置し、赤坂駅から200m程のところです。
カウンター席9席のみの比較的小ぢんまりした店ですが、連日行列ができる程の繁盛ぶりだそうです。
いわば大阪の老舗の東京支店のようなものですが、本家から暖簾分けされた分家という立場ですから、より正確には支店ではなく分店と言った方がいいでしょう。
メニューの数こそまだ少ないものの、本家のシンプルなスタイルを忠実に守っていて、味も初めは甘くて食べていくうちにだんだんと辛さがくるという独自の旨さをそのまま再現しているとのことです。
看板ではなくちゃんと中身で勝負しているこの店、有名人が店主ということでなくても一度は行ってみたいものですね。
まとめ
- 北村一輝が役者になった経緯には少なからず兄の影響があるが、兄自身もキタムラトシヒロという名で活動する舞台脚本家兼演出家であり、芸能人関係者である。
- 北村一輝の一人息子である長男の北村将清も俳優業に身を置いた時期があるが、現在は俳優ではなくダンサーとして活動している。
- 特異な経歴の持ち主である北村一輝に、カレー屋の店主という特異な経歴がまたひとつ加わった。
- 北村一輝のカレー屋「大阪マドラスカレー」は東京都港区赤坂にあり、それは彼の出身地である大阪の老舗「カレーやマドラス」の味を忠実に再現している。
北村一輝が東京に小さいながらもカレー屋をオープンさせたのは、実は単に自分がカレー好きだったからというだけではありません。
誰もがいつ仕事を失うかも知れない先行き不透明な今のこの時代に、雇用の受け皿として少しでも世の中の役に立てればという思いが込められているのです。
雇用問題まで考えている北村一輝。そのうち今度は社会学とか経済学とかの専門家といった、また別の顔を持つ日が来るかも知れませんね。