吉岡里帆は頑張り屋です。生まれ育った実家は京都にあって地元の大学に入学する前後から演劇に目覚めるのですが、女優になると決めてからの行動力が凄いです。
恵まれた家庭に生まれながらも、ただ単に甘やかされていただけではなく、芯のしっかりした心の強い娘に育てられたようです。
それでもその家庭環境は大変居心地が良いところだったらしく、日本有数の仲良し家族だと吉岡里帆は臆することなく自分の家族について語っています。特に弟のことが愛おしくてたまらないようです。
その弟はせっかく始めた京都でのシェフの修行をあっさりとやめて、上京して靴職人の弟子になったのですが、そこには姉である吉岡里帆の過剰なまでの家族愛が、良くも悪くも絡んでいるのです。
目次
吉岡里帆のプロフィール
透き通るような肌に端整な顔立ち。吉岡里帆はなかなかの美人です。それだけでも十分惹かれてしまいそうです。
- 平成5(1993)年1月5日生まれ
- 京都市右京区出身
- 身長158㎝
- スリーサイズ B82 W60 H85
- 血液型B
- エー・チーム所属
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吉岡里帆は京美人
吉岡里帆はデビュー以来すでにたくさんのテレビドラマや映画に出演していて、CMにも引っ張りだこの、押しも押されぬ人気女優です。
また女優としてだけではなく、その美貌から数多くのグラビア雑誌にも登場し、モデルとしても誌面を賑わせています。
透明感のある整った目鼻立ちは、少女のような可愛らしさもあり、大人の艶っぽさも醸し出しています。吉岡里帆には美しいという言葉が本当にふさわしいと思います。
そんな彼女の出身地は京都です。俗に京美人という言葉があって、その明確な定義というものはないものの、京都市及びその周辺地域の美女のことを指すそうです。吉岡里帆は間違いなく京美人のひとりだと思います。
実家は京都
吉岡里帆の実家は京都市右京区にあります。映画の街である太秦で彼女は生まれます。
その太秦で映像会社を経営する父とアパレル業界で働く母に愛情を十分に降り注がれ、3歳年下の弟を持つ4人家族のもとで育ちます。
家族との関係は非常に良好で、日本有数の仲の良い家族であることを自負しているとのことです。今の自分があるのは愛情の満ちあふれた家庭に育ったためで、それがずっと基盤になっていると本人は語っています。
吉岡里帆は幼い頃より父、母、そして祖母の影響を受けて、京都あるいは太秦といった地理的環境で映画や演劇、歌舞伎に能、日本舞踊や落語といった芸術文化に幅広く親しんできました。
中学生になると、映画「スウィングガールズ」〈平成16(2004)年公開〉に感化されて吹奏楽部に所属していました。若かりし頃の上野樹里が主役で、貫地谷しほりや本仮屋ユイカなども出ていましたね。
高校生になっても軽音楽部に入部し、同時にソフトボール部にも所属してマネージャーをしてましたが、どちらかと言えば高校時代はひたすらアルバイトに励んでいたようです。
そして高校3年生の時、アルバイト先で人手不足を理由に声を掛けられ、映画にエキストラで参加したことが吉岡里帆のその後の人生を大きく左右する結果となるのです。
演じるということに喜びを覚えた吉岡里帆は独学で芝居の勉強を始めます。しかしそれではダメだということに気が付き、役者の養成所に通い出したり、学生製作映画に参加するようになって、次第に芝居の世界にのめり込んでいきます。
京都で役者を目指すも限界を感じて上京
それでもその頃には将来の選択肢に女優という道はまだはっきりとはなかったようです。この時彼女は、すでにあることで人前に出ても全く恥ずかしくない程の腕前の持ち主でした。それは小学2年生から始めた書道です。
それで行く行くは書道家になることを目指し、進学先は地元ながらも、書道というかなり特殊で専門的な分野を履修できる京都橘大学文学部日本語日本文学科書道コースとなりました。
しかし大学に入学して間もなく、エネルギッシュに演劇に打ち込んでいる仲間に出会い、その姿に強い衝撃を受けます。そしてその仲間と行動をともにしているうちに、ついに演劇を極めたいと思うようになりました。
そしていろいろな意味で東京に行かなくては女優として華々しく活動できないと思い、学業を続けながらもアルバイトを掛け持ちして旅費を稼ぎ、俳優養成所に通うために京都から東京まで夜行バスで往復するという日々を送りました。
それ程の努力を重ねながらも、なおもその状況に吉岡里帆は満足しません。冷静に自分の置かれた立場を見つめます。このまま養成所通いを続けても、何千人といる生徒の中に埋もれてしまって抜け出せなくなるだけと分析したのです。
そこで養成所のツテをたどって、現在所属の事務所を紹介してもらいます。容易く事務所入りできたわけではありませんでしたが、自分はここの看板女優になって滅茶苦茶一生懸命働くからと社長に直談判し、社長を口説き落としたのです。
こうして平成24(2012)年末に芸能事務所入りを果たし、翌平成25(2013)年より正式に女優としての活動を始めました。そして2年後の平成27(2015)年辺りからブレイクし始めて、以降の活躍は周知の如くだと思います。
女優としてのスタートを切った時、吉岡里帆は丁度20歳になったばかりでしたが、依然京都東京間を往復する生活を続けていました。
そのための軍資金を稼ぐアルバイトも相変わらずやっていて、それは女優としてブレイクする頃まで続けていたというのですから驚きです。
この頑張り方は、並大抵なことではありません。吉岡里帆は、ただ可愛らしいだけが売りの、流行りのアイドルとは訳が違うのです。
京美人と言えばどことなくおっとりして優雅なイメージがあるかも知れませんが、吉岡里帆の内面は外面のおしとやかな雰囲気とは違って、目標に対しては努力することを惜しまず、何事にも物怖じしない力強さがあります。
書道をやっていたのでひとつのことをやり遂げる集中力はそこから来たのではと本人は語っていますが、きっと愛情とともにしっかりと躾られて育った家庭環境がその背景にあるのではないでしょうか。
ただ通っていた大学の方は、途中までしか行かなかったようです。それでも別の大学に転学してそこを卒業したということですから、決して投げ出したわけではありませんよね。むしろ立派なこどだとさえ思います。
吉岡里帆の弟
自慢の家庭で育った吉岡里帆の父は会社経営者で母はアパレル業界の人。家の中にはいつも芸術性豊かな書籍や最新デザインの服でいっぱいだったそうです。
書道家を目指していた吉岡里帆ですが、結果的には両親の影響を強く受けて彼女は女優となりました。それでは残る1人の弟は何をしているのでしょうか。
吉岡里帆は弟のことが大好きのようで、同じ屋根の下にいた頃は、彼の成長を目を細めて見守っていたと言います。その弟は料理の道を進みました。
京都のフレンチレストランでシェフの修行
弟の選んだ料理はフランス料理です。調理師専門学校を卒業後、20歳の頃には地元京都のフレンチレストランで働いていました。
弟は姉の吉岡里帆とは3つ違いですから、それは平成28(2016)年頃の話となります。この時はもうすでに売れっ子女優になっている吉岡里帆ですが、弟を溺愛する彼女はその頃わざわざそのレストランを訪ねたりしています。
しかし今はもうそこに吉岡里帆の弟の姿はありません。彼は転職しました。店を変えたのではありません。職を変えたのです。
姉同様上京して靴職人の弟子となるも・・・
姉弟仲が良いということは、弟のことが可愛くて仕方ない姉がいるのと同時に、姉のことが大好きで仕方ない弟がいるという構図になります。
それで吉岡里帆の弟は調理師専門学校まで出て京都のフレンチレストランでシェフ修行していたのに、自慢の姉の活躍する姿を見て、自分も東京で一旗あげて姉に追いつきたいと考え出します。
そこで姉に紹介された東京の、自称靴職人のもとに走ります。姉は単に、文字通り紹介しただけで、シェフから転身させる気はなかったみたいです。
それでもなんとか姉に追いつきたい弟は、それまでの経歴を中途半端に投げ捨てて、その職人の弟子になりました。平成30(2018)年の夏から秋にかけての話です。
しかしその職人はやたらメディアにばかり露出して、一向に靴を作ろうとはしません。工房にもほとんど姿を現しません。手作りの靴を熱望して注文したお客さんからは毎日のようにクレームの嵐です。
なにせ前払いでの受注だったのに、納期が近づこうが過ぎようが全く作る気配がないのですからお客さんの不満が爆発するのも無理はありません。
それで弟は何をしていたかというと、そのクレームに対する電話対応ばかりだったそうです。しかし弟はそれらに対してひとつひとつ丁寧に対応したといいます。
なぜならばそうしなければ自分もクレームの原因の片棒を担ぐことになってしまうと思ったからだそうです。結局若気の至りの無謀な転職になってしまったわけですが、直接関係のないことに終始誠実に振る舞ったことは評価していいでしょう。
逆にお客さんからはその身を気の毒がられたり、心配されたりしたそうです。それでわずか3ヶ月ばかりでその職人のもとを去りました。その後どうしたかは、今のところ定かではありません。
姉の吉岡里帆とその靴職人を語る男とは、とあるテレビ番組で共演したことがきっかけで知り合いました。
その男は自らの異常なまでの兄妹愛を機会あるごとに公言してはばからないのですが、その家族のあり方が吉岡里帆の家庭環境と重なって親しみを覚え、食事まで一緒にする程の仲になったのです。
価値観が同じということですっかり意気投合してしまい、表面的なものしか見ないまま良い人と信じ込んで、弟もその仲良しグループの一員にしてしまったことが、とんだ災難となりました。
デビュー以来何もかも順調に進んで来たかに思われる吉岡里帆ですが、この件で愛する弟を翻弄させてしまい、さぞかしショックだったことでしょう。だけどあまりにも人を見る目がなさ過ぎました。
それとも人の心までも言葉巧みに操ってしまうこの職人の方が、一枚も二枚も上手だったのでしょうか。
なおその靴職人とは、大相撲第65代横綱で、最近まで相撲協会関係者だった人の、あの息子のことであるのは言うまでもありません。
まとめ
- 吉岡里帆の実家は京都であり、家族愛に包まれて育った。
- 京都の大学に在学中に女優になることを決心し、目標に向かうための努力を惜しまなかった。
- 人並み外れて仲の良い3つ違いの弟は、京都でシェフ修行をしていたが、活躍する姉の影響を受けて上京し靴職人の弟子となった。
- 姉が良かれと思って紹介した靴職人だったが、弟は靴を作る間もなく職人のもとを去った。
ちなみに吉岡里帆の書道の腕前は8段だそうで、もうほとんど師範と言ってしまっても過言ではない域に達しています。
顔が綺麗で字も綺麗。よく天は二物を与えずと言われますが、彼女の場合は確実に二物が与えられています。
しかし綺麗事では済まなかった弟の一件を見てみると、天もさすがに三物までは与えなかったみたいですね。