古関裕而記念館営業時間やアクセスは?朝ドラ豪華俳優陣キャストに注目!

福島市が生んだ偉大な作曲家、古関裕而こせきゆうじはその生涯において5000曲にも及ぶ膨大な数の楽曲作りに携わりました。彼の故郷福島市には、その偉業を称えて後世に伝えていくための記念館があります。

そこに足を運べば、古関裕而に関するあらゆる資料が展示されていますし、古関の作品も実際に視聴することが出来ます。営業時間やアクセスが気になるところですので調べてみました。

一方福島まではちょっと足を運べないという人は、NHKの朝ドラを見てみるのも宜しいでしょう。朝ドラ第102作目「エール」は、この古関裕而をモデルにしたドラマです。

ドラマが魅力的ならば、古関裕而についてなお一層関心が高まるというものです。主人公やヒロインを演じる俳優や、脇を固める豪華キャスト等についても調べてみましょう。

古関裕而はすごい人

ある分野においてとんでもない偉業をなしとげた人がいるのに、その人が必ずしも広く世間に名の通った人であるとは限らないものです。もっともその分野に元々関心の高い人や関わりの深い人にとっては、そうした偉人は知る人ぞ知る存在となるわけです。

古関裕而は、その生涯において数えきれない程の作品を世に送り出すという、まさに偉業をなしとげた作曲家です。その輝かしい功績が認められて、昭和44(1969)年には紫綬褒章が、同54(1979)年には勳三等瑞宝章が授与されています。

古関裕而のプロフィール

古関裕而は本名を古關勇治こせきゆうじといい、明治42(1909)年8月11日福島県福島市の呉服屋の長男として生まれ育つも、音楽好きでいつもレコードばかりかけていた父親の影響を受けたことで、幼少の頃にはすでに独学に近い形で作曲家の道を志していました。また小学校に入学してからは、担任教諭がやはり音楽好きで音楽教育に熱心だったという好条件に恵まれて、10歳の頃には楽譜が読めるまでになっていました。

大正11(1922)年、家業を継ぐため旧制福島商業学校(現福島商業高等学校)に入学しますが、当時は音楽活動も盛んで、同時代の同窓生には古関裕而の他にも、遠藤武夫えんどうたけお野村俊夫のむらとしお須田くにおすだくにお等といった著名な音楽家が名を連ねていました。そんなこともあってか学業はそっちのけで、常にハーモニカを持ち歩き、暇さえあれば作曲法の修得ばかりに明け暮れていました。

そんな最中、家業の呉服屋が倒産してしまいます。家業に縛られる必要のなくなった古関にとっては、辛い経験であったことには間違いないにせよ、ある意味自由になった瞬間だったのではないでしょうか。

学校を卒業する頃には、福島ハーモニカーソサエティーという、当時日本でも有数のハーモニカバンドに入団し、作曲や編曲、そして指揮までも担当するまでになっていました。卒業後は地元の銀行に就職しますが、仕事をしながらもバンド活動を続けます。

この間、学生時代から憧れていた、日本の作曲家の先駆者のような存在である山田耕筰やまだこうさくに自分の書いた楽譜を度々送って連絡を密にしたり、ロシアの近代音楽家リムスキー=コルサコフの弟子であり、当時仙台在住であった金須嘉之進きすよしのしんに師事するなどしてますます腕を磨くことを怠らず、いつか世に認められることを夢見ていました。そしてその機会はすぐに訪れます。

昭和4(1929)年、イギリスはロンドンのチェスター楽譜出版社が募集した作曲コンクールに、「竹取物語」と題する管弦楽のための舞踏組曲を出品応募し、見事入賞を果たしたのです。実はこれは、日本人初の国際的な作曲コンクールでの入賞という快挙でもあったのです。

これを機に、かねてより親交を重ねていた山田耕筰の推挙もあって、東京に進出することとなり、日本コロンビアに作曲家として迎え入れられることとなるのです。そしてその後の活躍も全く留まるところを知らないどころか、むしろここから古関裕而の快進撃が始まったと言った方がよいくらい、次から次へと曲を作っていきます。

日本コロンビア所属後はクラシック音楽にこだわらず、歌謡曲から軍歌、ラジオドラマの主題歌、学校の校歌や応援歌、社歌、野球の球団歌やスポーツその他イベントに関わる行進曲等、ジャンルに関係なく数多くの作品を手掛けました。それは実家の破綻という経済的理由からそうせざるを得なかったからでもありますが、ここで芸術性の高さだけを追い求めなかったことが、幸いにも古関裕而を大成させる結果に繋がったとも言えるでしょう。

平成元(1989)年8月18日、80歳でその生涯を閉じるまでに作った曲の総数は5000曲にも及ぶと言われています。昭和39(1964)年にアジアで初めて開催された前回の東京オリンピックの選手入場行進曲、「オリンピック・マーチ」を作曲したのもこの人、古関裕而です。

ところで彼の妻である古関金子こせききんこは旧姓を内山うちやまといい、裕而がロンドンの音楽コンクールで入賞した記事を新聞で読んで感銘を受け、金子が住んでいた愛知県の豊橋から福島に手紙を送ったのがきっかけで文通が始まり、何回かのやり取りのみを経て一年もしないうちに結婚、そしてすぐにふたりの東京生活が始まるのです。昭和5(1930)年、裕而が20歳で金子が18歳でのスピード結婚でしたが、ふたりは終生人もうらやむ程のおしどり夫婦だったそうです。

古関裕而記念館

古関裕而が2度目の勲章を授かったのと同じ昭和54(1979)年、彼の故郷福島市は、彼を福島市名誉市民第一号とし、その功績と栄誉を称えました。そして昭和63(1988)年には、福島市制80周年記念事業として、福島市名誉市民第一号となった彼の業績を後世に継承していくことを目的に、福島市古関裕而記念館を同市入江町一番1号にオープンさせました。

1階は受付ロビーとサロンで、2階が資料展示室、視聴室、記念室となっています。1階のサロンはピアノ発表会やミニコンサート等に適した多目的ホールとして有料で貸し出されていますが、2階の展示室の方は無料で入館できるそうです。

きっとひとりでも多くの人に、故郷の英雄、古関裕而を知ってもらいたいという気持ちの表れなのでしょう。CDや書籍、関連グッズといった古関裕而にまつわる記念品も多数揃っているようですが、これらはもちろん商品ですので有料になります。

福島市古関裕而記念館の営業時間は、午前9時から午後4時30分まで(入館は午後4時まで)、ただし年末年始(12月29日から1月3日まで)は休館で、その他臨時の休館日もあるようです。車でのアクセスも可能で、駐車場は隣接の福島市音楽堂との共用で70台分用意されています。

さらに詳細を知りたい方は、福島市古関裕而記念館のホームページをご覧になるのが宜しいかと存じます。公式サイトはこちらをクリック!

古関裕而が朝ドラの主人公に!!

令和2(2020)年度前期放送のNHK連続テレビ小説(通称 : 朝ドラ)は、久し振りに男性が主人公となる物語です。その主人公である古山裕一こやまゆういち役を、人気も実力も十分の若手俳優、窪田正孝くぼたまさたかが演じますが、古山裕一が作曲家の古関裕而をモデルにしていることは明らかです。

古山裕一の妻となる関内音せきうちおとのモデルは当然古関裕而の実際の妻となる内山金子ですが、このヒロイン役には、やはり人気実力共に申し分ない二階堂ふみにかいどうふみが挑戦します。ヒロインといっても今回は脇役になりますが、それでも二階堂ふみはわざわざオーディションを受けてまでの、まさに朝ドラ初”挑戦”という熱の入れようです。

その他キャストとして、風間杜夫かざまもりおを筆頭に光石研みついしけん唐沢寿明からさわとしあき薬師丸ひろ子やくしまるひろこ菊池桃子きくちももこといったベテラン勢がしっかりと脇を固めます。一方で注目の役者や新進気鋭の若手俳優も多数起用されています。

古関裕而の晴々しい功績を世に伝えるのに相応しい豪華キャストの揃い踏み。NHK朝ドラ第102作目「エール」は、令和2(2020)年3月30日月曜日より放送開始されます。

この記事のまとめ

  • 古関裕而は福島県福島市で生まれ育った偉大な作曲家であり、その作品は生涯を通じて5000曲にも及ぶ。
  • 故郷の福島市には、古関裕而の業績を後世に伝えるための施設である福島市古関裕而記念館がある。
  • 記念館の営業時間は午前9時から午後4時30分まで、駐車場は70台完備で車でのアクセスにも十分対応している。
  • NHKで古関裕而をモデルとした朝ドラが放映されるが、主人公やヒロインを演じる俳優をはじめとするキャストの面々は豪華である。

ところで朝ドラ「エール」の主題歌は、GReeeeNの「星影のエール」に決定しています。メンバー4人全員が歯科医師免許を持つ異色のボーカルグループであるGReeeeNは、古関裕而の故郷と同じ福島県で結成されています。

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ドラマも楽しみですが、ドラマの主題歌にもとてもワクワクさせられそうですね。しかし何よりも古関裕而という偉大な人物についてよく知ることができること、それが何より一番なのではないでしょうか。